片付けられない物ばかり

常に物理的な制限と戦っている

まさか

こんな事が起こるとは思ってもみなかった。

以前からはてなブログに登録はしていたけれど、誰に見せる訳でもないしとクローズド設定にしていた。
ただ、今日感じた事は暫くの間は公開記事にしておこうと思う。ともすれば何かに説明を求めてしまいそうになる自分を律する為にも。



2018年4月15日11時。
関ジャニ∞渋谷すばるさん(以下敬称略)がグループの脱退と本年をもってのジャニーズ事務所からの退所を発表した。
今後は海外を視野に音楽活動を続けるとのこと*1



最初に断っておくと私はeighterではない。
関ジャニ∞の事は影ながら応援していたが、eighterと名乗れるほど入れ込んでいた訳ではない。
だが、それでもエイトの事はずっと好きだった。

アメ村でミニバスをしていた時も
京都の舞台で汗を流していた時も
某タレントさんに【東京Jr.】と【大阪Jr.】の違いを訊かれ「扱いが……」と答えていた時も
Mステで一夜にして名を馳せた時も
8Jのマラソンで1位と2位を獲っていた時も
東西でお料理対決をしていた時も
いきなり名前が変わって「え、同一人物だよね?」と狼狽えた時も
Secret agentになっていた時も
2人がグループ掛け持ちをしていた時も

「昔から知っている近所の男の子達が頑張ってるから応援してあげなきゃ!」
というどこから目線だよ感覚でメンバーを見続けていた。

関西限定とはいえデビューが決まり。
事務所に提示された以上の売り上げを勝ち取って全国デビューがお蔵入りにならずに済み。
ジャニウェブでもグループ単独ページを貰えて。
順風満帆かと思えた、あの日。

当時メンバーが目標としていた、夢にまで見た城ホールでの公演を控えたあの日。
周りのeighterが泣き崩れ、eighterとは言えない私でさえも少なからず動揺した、あの日。

あの日のあの衝撃を、もう一度味わう事になるなんて。

あの日から暫くしてから、エイトはずっと【8人曲】として封印していた大阪ロマネスクをライブで歌い、内博貴のイメージカラーであったピンク色の光の中で無限大を歌った。
内への惜別と共に、ファンに「内は、エイトには復帰しない」というメッセージを込めて。

これとほぼ同時期に、内は関ジャニ∞に戻るつもりがないことを明言した。
恐らく「このままでは自分のせいでエイトとeighterが立ち止まったままになる」と考えた内が、自らエイトの手を放したのだろう*2

翻って。
メンバーが居なくなってしまうことをファンに伝える辛さやメンバーと同じ時間を共有出来なくなってしまう哀しみを経験しているすばるが、エイトが、こういった結論を出したということは、皆、生半可な気持ちでは、無いのだろう。



芸能界という世界では実は当たり前に起こることながら、ジャニヲタとしてはあまり意識することのなかった
【デビューしており、所属しているグループの活動もある状態の自担が、自らの意志をもってグループから離れ事務所を辞する事が現実に起こりうる】
という事象が、田口淳之介の退所発表によって全ヲタの眼前に冷ややかに突き付けられたことは記憶に新しい*3
が、まさか、まさかエイトでこんな事が起こるとは思ってもみなかった。


田口の時はまさに青天の霹靂でその後の狂乱が凄まじかった。
今回はスッパ抜きから会見まで2日間の空白期間があった為、その間皆、不安に押し潰されそうだったのではないだろうか。



もう一度言っておくが私はeighterではない。
だから、何も口を出す事は出来ない。
「嫌だ」と駄々をこねる権利も、「すばるとメンバーの気持ちを尊重してあげたい」と言う資格も皆無である。
皆無なのだが。

帰宅後、熱くなっているコップをうっかり素で触ってしまった。
指先を少し、火傷した。
自分で思っているよりも遥かに動揺しているらしきことを、ここに記しておく。

*1:https://dot.asahi.com/dot/2018041500008.html?page=1

*2:現にジャニウェブのNEWSのページからは直ぐに内の名前が削除されていたが、関ジャニ∞のページにはこの発言の前後まで内の名前が残されていたし、レンジャー連載の大倉の8→1の記載も続いていた

*3:赤西仁の場合はグループ脱退後から退所までかなりのタイムラグがあるので上記に当て嵌まらない